ヒト・・・・・・それは私がもっとも怖くて、最も傍にいたいもの。
どうしてこっちを見てくれないの??
どうして私は一人なの??
繰り返す
                             繰り返す
それは貴方が私じゃないから



ええと、ね。ここではちょっとARIKAの過去に関わるすこーしメンタルなことを扱います。
ARIKAに害を与えるヒトの閲覧を拒否します。
何でこんなことを書こうと思ったかというと、ARIKAが自分のために子供の心を忘れないようにしようと思ったからと、もしもここに迷い込んできたヒトの中で、ARIKAと同じようなことを考えている人がいたら、一人じゃないよって言ってあげたいと思ったから。
にあさんがうちのサイトの紹介で書いてくれたんだけど、ちゃんとここにいるよって伝えたいのが、テーマだから。


クラスメイト   00、09、30
ええとね、ARIKAは昔っからお友達作りが苦手でした。たぶん原因は小学校2年生のときの引越しにあるんだと思う。まあ今さらそんな昔のことを書くのもどうかと思うけど、ホント距離にして5kmほど移動しただけなのに、ぜんぜん遊び方とか違ってて戸惑ったのを憶えています。簡単に言ってしまえば外で遊ぼうぜみんな(笑)
まあ家の中で遊んでいたからといってネクラに育つわけではないのでしょうが、どうも陰湿な感じがした気もしつつ(笑)今だから言いますが、小学校時代の友達のほとんどは、苦手な人たちでした。なんかこう、仲間に入れてやってる的な態度をとられて悔しかったかな。まあ、私も相当な被害妄想少女だったので真偽の程はわからんけど。
中学の時がねえ、一番クラスメイトというものが嫌いでした。私にも相当非があるのもわかってるんだけど、何でクラスっていう単位を作るのかなあ、学校って。しかも、仲のいい友達同士は一緒のクラスにしない方針ってどうよ??たくさん友達ができるようにって言われたって、ただのそのとき限りの裏では腹の探り合いやってるような友達が山といたって楽しいわけないじゃない。実際私はクラスメイト以外の友達が山といたともさ。おかげでクラスで行動しなきゃなんないときだけやけに孤独で淋しかったよ。
友達なんてさ、無理やり作んなくともそのうちできるんだし、もう少し学校側の体制も緩和してもらいたいもんだとARIKAは思います。ARIKAみたいに見た目派手に目立ってると、友達作ろうとがんばればがんばるほど相手がひいてっちゃうのよ。こっちだってがんばって仲良くなろうと色々しゃべってるのにね、どうしていいのかわからないじゃない。そんな居心地の悪いクラスにずっといたいと思う??ついつい他のクラスの友達んとこに遊びに行ったあげくさらにクラスでの居場所をなくしたともさ。
そこでさらにワガママなARIKAってば体育の準備当番とか居心地悪いからサボったりするので孤立孤立。でもね、ここで知っておいてほしいのは、早起きするのがイヤなんじゃない、重いもの運ぶのがイヤなんじゃない、ただ、仲良くしゃべってるみんなの中で孤立するのが怖いんだ。一生懸命輪の中入ろうとしても、自分だけ浮いてるのがわかるじゃない??私が話すとみんな一瞬間があくのよ。自然に答えてくれないじゃない、どんなに居心地が悪いか、できることならこの場から早く逃げたいと思ってなにが悪いの??
まあ、現在も変わらず大学のゼミとかでは、居心地悪くって逃げたがってる自分がいるんだよね。もちろん私から見て仲良く見える人たちの間にもいろんな駆け引きがあるんだろうし、安易に逃げ回るARIKAが良いとは思ってないけど。無理に仲間に入る必要ないんだけどさ、一人ぽつねんと突っ立ってるのも悲しいものよ。周りが楽しそうに騒げば騒ぐほどね。
学校というシステムの一番嫌いなところは協調性を育てるとか言ってむやみにグループや、サークルを勝手に作るところ。楽しそうにしている子達の片隅で、居心地悪いのにどうしようもなくてたたずんでる子の存在を何故無視するのか。私のような人間は社会に不適合なの??問い掛けて、問い掛けて、今まで私は生きてきたんだよ。


友達   00、11、27
最近ねえ、私は本当に甘やかされて生きてきたんだなあって思います。確かに団体行動苦手な私なのですが、友達と一緒だとぜんぜん平気なの。昨日、友達の久流未まことに言われたんだけど、私ってめちゃめちゃ弱い人間なんだって。思いっきり自分は強い人間なんだと思ってたんだけど(笑)仲間がいないと全然だめなの。だから、ちゃんと見ていてやらないと何をするかわかんない人間なんだって。その分類でいけばそういう人間がもう一人いるんだけど(人呼んで”でく”)、私の場合は見ていても何するかわからない人だよね、とまで言われた。ひどいわ、よく理解してらっしゃるじゃないの(笑)いつでもかまってほしくて仕方がないんだよね。だから、注意を惹こうとしてなんかとてつもないことやってるような気も(笑)でも、理解されてるって安心できるよね。何を言っても大丈夫じゃない、ワガママ言ったって、感情的に口走ったって、嫌われない自信になるよ。そんな友達がいることが私の一番の自慢。
こないだね、何をやってもうまくいかなくってすっごくいらいらして、つらくって、一人の友達にFAXしたのね。早くみんなのところに帰りたいよって。そしたら、返事に何気なく「帰ってこい」って書いてあったのが嬉しかった。すごく嬉しかった。私には帰る場所がある。それが、ARIKAの強み。
私にとって、かけがえのない友達の筆頭は、ここにもたまに遊びにきてくれてる(?)綿貫採。そして、パソコン持ってるくせにネットにはつながない、でくこと長島。この二人は小学校からの付き合いなの。もう、本当に長い間友達なんだね。この二人がいなかったらたぶん中学時代を乗り切れなかったんじゃないかなぁ。本当に、助けてもらいました。この他に、今信頼できる方々は、ほとんど高校時代の友達なのですが、また、よくもまあこんなばらばらな人間が集まったなあって感じ。上にも書いてるけど、もちろんクラスメイトだった人は少ない。見事にばらばら。おかげで冬とか寒いのに休み時間はたいてい廊下などで固まっておしゃべりしてました。いや、もうそんなん中学ん時からそうだったけど。人数はやけに多いのよ、集団で廊下に固まってるからほかの人に異様な目で見られていた、らしい。おかげで私は高校の卒業文集のアンケートで、「同性愛に走りそうな人」のベスト1を獲得しましたともさ。どうせ男友達はいませんでしたよぅ(笑)
さて、ここで最初に戻るけど、仲間がいないと全然だめ、ってことは、学校での私だめだめじゃ〜ん(笑)なんて、学校にだって友達はいますけど。なんだろう、ARIKAは、ARIKAのすべてを理解していてほしいのね。いや、無理だけどさ。結局、わがままなんだろうなぁ。


男の人     00、12、05
 ARIKAは中学校時代にやけに変質者やら痴漢に襲われかけました。お散歩が大好きで、夜や朝にふらふら歩いてるからいけないんですかねえ。もともとうちの実家のあたりは多い地域だったのでしょうけど。小学校時代から車の中で露出してるおじさんとかを良く見かけ、止まっている車の近くは通っちゃいけないと、幼心に思いましたね。それで、男性恐怖症に陥った時期もあったのですよ。人間不信気味にもなりましたし。
 ARIKAは中学生時代、高校生時代と好きな人の家の前をひたすら通るだけ(笑)というのを日課にしていたのですが(毎日ではなく、そっちのほうに用があるときだけね。高校もそっちにあったのだ・笑)、その人の家の前がまた、暗い道なんですよ。そこで一番怖い思いをしていますね。変質者に追っかけられて全力疾走したことが2回あります。だったらやめろよ、と今なら言える(笑)ときに、これってストーカー行為じゃないですよね。ストーカーって相手に迷惑をかけたりする行為をした場合でしょ、なんか最近誰も彼も片思いの人が、ストーカーにされてしまう世の中で、可哀想って言うか、酷いです。片思いだって真剣に相手を思っているわけだから、いいじゃない。一目会いたいとか、思ったって当然でしょ??いやだって言うのにデートに何度も誘うのはいけないと思うけどね(笑)話がずれてしまった・・・。
 一時期ね、父親さえも怖いと思ってたことあったのよ。でも、うちの父って自慢みたいだけれど、できた人なの。中学2年生の冬に、学校のスキー教室があって、かっこつけしいのARIKAとしては滑れないなんてとんでもなくハジだったのね。それで、父親と一緒に埼玉のほうにある屋内スキー場にオールナイトで通ったのですよ。そのとき、車の中って二人っきりでしょ。最初は居心地悪くてねぇ。でも、話してるとね、すっごく安心してくるの。うちの母はクチグセのように「うちのお父さんほど素敵な人はいない」って言うんだけど、本当に優しい人だと思う。もちろん優しいだけじゃなくて、厳しさもあわせ持ってるよ。ARIKAは父親に怒られたことが2回ある、と記憶しています。一回はねえ、中学校1年生のとき自然教室なる3泊4日の学校行事があったんだけど、登校拒否したの。クラスに友達もいなくってつまんないのと、もうひとつ事情があったんだけど、これは誰にも内緒。今まで誰にも話したことないし(笑)そのときねえ、怒られたなぁ、殺されるんじゃないかと思った(苦笑)でも、本気で怒ってくれたからこそ私は、みんなとは遅れたものの一晩だけ参加できたんだと思う。やっぱり行ってよかったと思うよ。後から母が言っていたのですが、あの時行かなかったら、そのあと学校にもこれなくなるんじゃないかって、担任の先生が心配してくださったんだそうです。私は別に、何気ない様子で行くつもりだったんだけど、どうだろう。行けなくなってたかもしれない。もしかしたらそのとき行けても、いつかつらいなと思ったらすぐに逃げてたかもしれない。また話がずれましたね、まあ、そういう周りの状況に救われて私の男性恐怖症も軽いものになったんですね。今はほんと、男性恐怖症というか、軽い人間不信なだけだし。初対面の人は怖いのよ、今でもね。
 それでねえ、うちの大学なんですけど、生徒の相談役として、10人ちょっとの生徒につき一人、先生が指定されてるのね。で、同じ先生についている生徒を集めて週に一回セミナーを開くんだけど、単純に学籍番号で分けられたわけで、さすが理系大学というべきか、そのグループの中で女の子はARIKA一人だったの。怖くってねえ、今まで男の子とあんまり話したことないから、どう接していいかわからなくって、すごく浮いてた。その中で、優しく話しかけてくれた人に、コロッと恋に落ちちゃったんだけど、今考えてみればとにかく何でもいいから味方が欲しかっただけなのかもしれないね。もともとARIKAは優しい人に弱いんだけど。ちょっとずるい考え方だけど、追い詰められた人間て、結構そうやって何とか自分を守ろうと思うんじゃないかなぁ。無意識にでもね。実際そのときは本気であの人のこと好きだと思ってたもん。まあ、その後わかったことにはその人は優しい人ではなかったんですな。結構苦い思い出です。


先生     00、12、05
 今日は人間関係について考える日なのね(笑)ARIKAはわりと先生と仲良くなる人間でした。少なくとも中学校まではいつも助けてくれる先生に恵まれていたと思います。今でも一番感謝しているのは、中学一年のときに担任だった先生。うえでも書いた通り、登校拒否児一歩手前のARIKAを引き戻してくれた先生です。歴史の先生で、結構体格が良くて頭髪が少々元気のない(笑)先生でした。言葉遣いとか、あんまり良くなくってぶっきらぼうな先生だけど、まっすぐな人でした。いつも前を見ていて、言葉もまっすぐに心に浸透してきた。第二の父とまで言いたくなるほど素敵な人でした。さらに、保健の先生。1年のときだけで他の学校に行ってしまった先生が、とても好きでした。生徒からすごい嫌われてる先生で、女なのに言葉遣い悪くって怒ってばっかりいた先生だけど、本当はやさしい先生なの。私とか、保健室大好きな人しか知らないことだけど、本当に親身になって相談にのってくれるし、何より元気を分けてくれる先生。この先生にもたくさん迷惑かけたな。でもたぶんARIKAが一番好きな先生は彼女だと思います。さて、その後にきた保健の先生は、実はARIKAたちの小学校から移ってきた先生で、もともと小学生のときはそれなりに仲が良かった人なんだけど、前任の先生から、ARIKAを特に頼むと言われたとかで(笑)、また、いろいろとご迷惑をかけました。自宅が近所なので、今でも母がたまに会って私のことを聞かれるといっていました。嬉しいですね、こんな昔の問題児のこと覚えてくれてるとは。そして、3年生のときかな、副担任だった国語の先生。掃除のとき、同じ班の人と仲が悪くって掃除をサボりがちだったARIKAに、「廊下のここからここまで先に来て掃除しちゃいな、そしたら遊びに行っていいよ」って言ってくれて、すごい気分が軽くなった。しかし私の地毛の赤毛を、染めてるって勘違いしたのも今でも覚えてますよ(笑)
 高校生になってからはね、1年のとき担任だった国語の先生が日本人形みたいな人でね、さらに古文が専門だったんだけど(笑)その先生が私たちが3年になるときに移動になっちゃったんだけど、いろんな相談にのってくれて、いい先生でした。どうやらその後年賀状を出していたのが私ぐらいだったらしく、みんなは元気かとか書かれてました。先生って本当に大変な職業だと思うんですよ。私みたいな問題児はいるしね(笑)今は私たちが子供のころよりさらに大変なんだろうなぁ。いろんなときに助けてくれるのが先生じゃない。たくさんのありがとうをこめて、せめて年賀状ぐらいは送りましょうよ。まあ、人によってはこの子誰だっけ??とか言う人もいるので、そういう人はともかくね。だから、もちろん良い先生ばかりじゃないことも知ってるよ。高校3年のときの担任はARIKA嫌いだったもの。
 でも、今までARIKAを支えて、助けてくれたたくさんの先生に、心からありがとうを言いたいと思います。もうすぐ、先生という職種の人から遠ざかっちゃうからかな、なんか、センチメンタルなカンジ(苦笑)


母親     00、12、05
 さて、本当はここに一番最初に書きたい表題だったんだけど。うちはね、母子関係が非常に悪かったのです。まあ、だからこそ世間一般とは違って父親と私は仲が良かったのかもしれない。しかし、ここで言っておきますが、うちの父は決して私の味方ではありません。母の味方なんです。チクショウこの万年新婚さんめぇ!!・・・ってのはともかく、今考えてみると、私って母によく似てるんですね、言動が。つまり人のアラはよく見えるってやつで、同属嫌悪というものなのでしょうね。中学時代、ARIKAは母親をこの世で一番嫌いでした。そのころ、自分も嫌いでした(笑)
 母がなんで嫌いかというと、小学校時代母のことでよく男の子にからかわれたりしたのですよ。うちの母は、わりと晩婚だったので年がね、ちょっとばかりいっちゃってたんですな。まあ、そんなこともあり、中学生ぐらいになると親は子供を理解しきれなくなってくるじゃないですか。それも腹立たしくて、怒って喧嘩ばっかりしてました。母いわく「どんなときも本音でぶつかり合ってきたんだからいいじゃない」とのことですが、中学生のとき、私には本気で殺意があったのですが、よいのですか??まあ、それも多分母を殺すか自分が死ぬかって考えだったのですが。これって生きることのコンテンツに書いたほうがいい話題かな??そのうちあっちにも書きたいことはあるので、似たようなこと書くかも。自分が嫌いって、もしかすると自分の世界を縮めてしまうことじゃないかなってARIKAは思います。それでも人間は弱い生き物だから、自分の望む自分でいつもいるのは無理に近いことで、しょっちゅう自分に嫌気がさしちゃったりするんだろうけど、ARIKAが自分を好きになれたのは、たぶん私の好きな人たちが私を好きでいてくれるから。大好きな人が大好きでいてくれることって、すごい嬉しいことで、このままの私が好きだって言ってくれるから、安心できる。でも、自分の望む自分を目指すことも大事だよね。今のままの自分っていうのが、安心しきって崩れちゃったら大変だし(笑)
 さて、そこで親の話に戻るわけですが、ARIKAは小さいころから何故か親を信じていなかったんです。親の愛を信じていなかったから、自分に対しても余裕をもてなかったのでしょう。でもね、ある日気づいたんだ。親っていうのは、自分がどんなことをしても、必ず「味方」でいてくれる人なんだって。ただね、親という立場の人にひとつ釘を刺しておきたいことがある。これは、ARIKAが親という立場になったときにも決して忘れないでいたい唯一のこと。子供のことが理解できなくなったとき、信じているからっていう言葉で自分をごまかさないで。子供の心を、理解する努力を、諦めないで欲しい。生物学的にいうと、脳のどこかには、自分が子供だったときの記憶も残ってるんだって。だから、自分の子供の気持ちを理解することは、絶対可能だと思うの。きっとARIKAが親になったとき、自分で書いたこの文章を前にすごく後悔しながら、必死で子供と話し合うのは目に見えてるんだけど。だって、親子って言ったって個別の人間だからね。理解するのは難しくて当然なんだよ。そういえば昔、母に「貴方と私は他人なんだから、考え方がちがくてあたりまえでしょう??」と言ってこっぴどく怒られたことがあるなぁ。言葉どおり、他の人間って言う意味だったんだけど、ARIKAも頭に血が昇っちゃって説明しなかったんだよね(苦笑)でも、親子っていうのは、一番近い他人なんだよ。
それは私が貴方じゃないから
ほら    目を開けてごらん
貴方の世界に私を入れてよ
一人じゃない
一人じゃない              
みんな怖くて 震えてるだけなんだよ